ファイテン株式会社 浜崎裕佳さん 女性 35歳

写真:浜崎さん

勤務年数 2007.4から(約5年)
障害の種類・程度 精神障害
仕事の内容 郵便物の封入・パソコンのデータ入力・荷物の開封,梱包・電話応対
勤務時間 9:00-16:00
勤務日数 5日/週 週30時間勤務
賃金 パートタイム(時給制)
通勤方法 電車とタクシー(会社支給)

インタビュー

働くきっかけは何でしたか?
京都市こころの健康増進センターで「就労のためのデイケア」に通所していました。ハローワークに求職登録し,相談をしていたところこちらの会社のことを知りました。最初の求人は「コールセンター」でしたが,入社したら,違う職種でした。

働く前と働いてから 変わったことはありますか?
調子が悪い時(体調や精神的)に仕事へ行くことで,調子の悪さを乗り越える力がつきました。家にいると一人でこもりがちですが,仕事に行くことで,リズムがついて,調子の悪い時を乗り越えられています。

利用した相談機関はありますか?
こころの健康増進センターデイ・ケア 京都障害者職業相談室

働いていて困ったことはありますか? その時はどうしましたか
細かい作業をしていてしんどくなったことがありました。その時は京都障害者職業相談室に連絡し,仕事の内容を会社の人に相談することにしました。それ以外は特にありません。

働いていて楽しいところは,どのようなところですか?
以前は開封作業などの単純作業が好きではなかったのですが,今はそんなに嫌な仕事ではなくなりました。
また,一緒に作業をしている社員さんたちと雑談をする時間も楽しいです。

お休みの日は何をしていますか?
WRAPという活動をしています。また最近は編み物にはまっています。休みの日にしんどくて寝ているということもなく,充実した休日を過ごしています。

あなたの夢は何ですか?
最近読んだ本の中にこんな文章がありました。
『仕事は楽ではないけれど,仕事そのものを楽しめたらいい』
私もそのように働けるようになるのが,今の夢です。

その他
浜崎さんが働く事について,文章を書いて下さいましたので,以下に掲載します。

私は19歳のころから周りの人に自分しか知らない考えが知れ渡っていると思うようになりました。自分しか知らない考えをみんなが知っていて,噂になっていると思っていました。それでも大学に通いたいと思い,恥ずかしくても大学に通いました。そして卒業しました。大学に通っている時に精神科を知り,病院に通いカウンセリングを受け,薬を飲んでいました。けれども考えが知れ渡っているという思いは消えませんでした。

大学卒業後就職し,働いていました。でも周りに考えが知れ渡っているという思いは消えず,会社中で噂になっていると思い,辛くなって4ヶ月でやめました。そして会社を転々としましたが,一人暮らしをしたり友達と遊んだりして,薬を飲んでいることと精神科に通っていること,人に考えが知れ渡っていると思うこと以外は,普通に生活していました。

そんな生活が5年ほど過ぎた頃,別のある考えが浮かんできて,それを現実として考えるようになりました。現実世界とはかけ離れた考えだったので,会社を無断で休み,家にこもり,考えにとらわれつづけました。そして2-3週間後精神科に入院し,2ヶ月後退院しました。

退院後は行くところもなく,体力も落ち,もう以前のような生活はできないと思いました。でも、元気になりたいと思っていました。そんな時,就労を目的としたデイケアに通うことが決まりました。デイケアという言葉は聞きなれないかもしれませんが,デイケアでは、日常生活を送りやすくするためにいろいろな活動をします。また,日中を過ごす場としても活用します。私はデイケアに通いながら,習い事もしていました。習い事に1年ほど通い,その後1年ほどデイケアに通いました。デイケアでは,会社でのマナーを学ぶマナー講座や簡単なパソコンの操作方法,簡単な就労の実習に2-3時間ほど週3回くらい行きました。ハローワークの人が来て就職するにあたっての心構えや働き方,面接の受け方を学ぶ講座もありました。
その講座が終わった日にハローワークの担当の人から電話があって、今働いている会社が求人を募集していると教えてもらいました。

最初はファイテンなんて会社は知らないし,何を扱っているかも知りませんでした。ただハローワークの人の言う,「障害者に理解ある会社だから」という言葉を信じて面接を受けることにしました。また,就労時間を短くからはじめられるというのも面接を受ける動機のひとつでした。

1次面接では,9時から15時までにして働きたいことだけ伝えました。会社の人事の人はしつこく何か要望はありませんか? と聞いておられましたが大丈夫ですと答え,面接は終わりました。そして1次面接に受かりました。そして,2次面接までの間だんだん不安が高まってきました。パソコンばっかりの仕事で体調を崩したらどうしようとか,フルタイムにしてやっていけるのか,とかいろんな不安がわきでてきました。
そしてデイケアやハローワークの担当の人に相談したら,不安を言って浜崎さんの要求をくんでくれなかったら,別のところがありますよと言ってもらい,一度会社に伝えてみようということになりました。
そして,2次面接の時に,9時から午前中までで仕事を終わらせてほしいということや,土曜日の隔週勤務はできないこと,ふらふらとしてしんどくなることなど自分が不安に思っていることを伝えました。

結果は私の要望をすべて聞いてもらえ,採用ということになりました。ファイテン株式会社 浜崎裕佳さんの仕事の様子

4月2日からの仕事はじめでした。午前中からの仕事を用意してもらって,仕事がはじまりました。最初は緊張と3年ぶりの仕事だったので,なかなか感覚がとりもどせませんでした。でも2週間午前中の仕事を続けて,少しずつ感覚がもどってきました。そして、15時までの勤務にしました。この頃からいろいろな仕事を任されるようになってきました。でも以前していた仕事に比べたら,単純作業だし,地味な仕事だし,なんか物足りないなあと思っていました。でも障害者枠だし,仕方ないかとも思っていました。

そんな時,ものすごく細かい作業を必要とする仕事を任されることになりました。最初は慣れるのに必死でしたが,そのうち細かい作業の上に臨機応変に対応しないといけないこととかでてきて,もうその仕事が苦痛以外の何物でもなくなり,毎日がストレスでした。もう仕事をやめようと思ったくらいでした。私は,病気とか関係なく,細かいことや臨機応変にするということが元々苦手でした。なので,本当にこの時期はつらかったです。

仕事を始めた頃に私はWRAP(ラップ)といって,日本語訳で『元気回復行動プラン』というものにであいました。それは病気や問題に焦点をあてるのでなく,元気に焦点をあてるという考えで,私にとっては目からうろこのような画期的な出会いでした。その仲間に『仕事がしんどい』と相談したら,『WRAP』で言われている『権利を主張すること』をしないといけないのとちがうかな,自分でアクションを起こさないと何もかわらないのじゃないかなと言われました。まさにその通りだと思いました。
そこでずっと連絡していなかったデイケアに勇気をだして、電話をして相談したら,ハローワークの担当の人に相談してみてくださいと言われました。ハローワークともずっと連絡をとってなかったので、話が通じるか不安でした。そして、ハローワークの担当の人に相談しました。すると,ハローワークの人は会社に行って,一緒に上司に話ししましょうと言ってくれました。
そして,ハローワークの人と会社の上司と3人で話をしました。自分が細かい作業は苦手なこと,今の仕事がストレスに感じていることを伝えました。

すると上司は,『見ていてあんまり楽しそうにしてないとは思っていたけれど』と言ってくれ,その仕事からははずすように考えてみると言ってくれました。
そして,そのストレスのある仕事からははずしてもらえました。

でも,ストレスのある仕事から外された時に私が与えられた仕事は,誰にでもできて,単純作業でした。そして,その仕事は,すぐにできてしまうことでした。その頃は,毎日何をしに会社に行っているのだろう? と思っていました。私なんかいてもいなくてもおんなじや。いっそのことやめようと思いました。

でも人事に相談したら,人事の人から『今与えられている仕事を一生懸命すれば、違う仕事もさせてもらえるから』というようなことを言ってもらえました。『浜崎さんには,この会社でがんばってほしい』とも言ってもらいました。

そのメールを読んで、涙が出そうになりました。こんな私でも必要としてくれているのだと思いました。

そして、上司にも言われました。
「前は時間に追われる仕事や,ストレスのかかる仕事もできていただろうし,今も,はまちゃん(浜崎さんのあだ名)はできると思うよ。でも今,その仕事を何年も続けてすることができるの? ずっとその仕事を続けていく自信があるの?」と。

それを言われた時,(ああ,以前の私と今の私のできることは,変わったんだ)と痛感しました。認めたくなかったけれど,今の私にできる仕事は,今与えられている仕事なのだと思いました。それを言われた時は,すごくショックで落ち込みました。

でも,それを言われてから1年近くたった頃,ようやく上司の言った意味がわかりました。1年,2年と同じ仕事をしていくのは,普通の人にとっても大変なことなのだと。

以前は,私のしている仕事なんて「大した仕事じゃない」と思ってました。でも,私がしている仕事は,誰でもできるけど,それをしなければ,他の人に支障がでるし,どんな簡単な仕事であったとしても,周りの人に影響がでるのだと気付きました。そう気付いた時に,自分の仕事が大きい仕事だろうが,小さい仕事だろうが,そんなことは意味がなく,きっとどの仕事も大切なのだと思いました。それに気付いた時,障害者であることとか関係なく,与えられた仕事をしっかりやらなきゃいけないと思いました。今も,しんどくて,もう休みたいと思うこともあります。でも,会社に行って仕事をしているということは,私にとっては今すごく『いい感じ』です。

細かい仕事からはずしてもらって,しばらくして仕事がほどよくいくようになって,1年ほど過ぎた頃に,私の仕事のリズムを変えようという話になりました。一緒に仕事をしている人が,「はまちゃんは,臨機応変にすると負担になるみたいだから,時間を決めてしたほうがいいかなあ?」と聞いてくれました。上司が言ってくれたそうです。『はまちゃんは臨機応変にするのが苦手らしいよ』と。

ストレスのかかる仕事から外してもらうように主張した時は,すごく勇気のいることでした。でも,その主張をしたからこそ,会社を辞めることなく,かつ自分の苦手なことも理解してもらえるようになったということは,すごいことだなあと思います。

平日は仕事をして,土日は,WRAPやIPS(Intentional PeerSuppor;意図を持ったピアサポート,助ける・助けられる関係でなく,お互いが学び,成長する関係を築くためにどうしていくかを考えていく)の活動をしたりしていますが,WRAPやIPSの活動をしながら仕事もできてと,とても幸せなことだと思います。やりたいことがあるからこそ,仕事もがんばれるのだと思います。

仕事は簡単な仕事だし,時間もみんなより短いし,私なんかいてもいなくても一緒だとすごく否定的に考えていた時期もありました。でも今は,言葉ではあらわしにくいのですがなんか,『すごくいい感じ』で仕事ができている感じがします。毎日同じことの繰り返しだけれど,その繰り返しができていることこそ,いいことなのじゃないかなと思えてきました。

朝起きるのが億劫で,もう休みたいと思うことはあるし,「こんな仕事はもういやだ」と逃げ出したくなることは今でもあります。「仕事をしていて,やりがいがあっていいね」と言われると,「何もやりがいじゃないよ」と答えてしまいます。でも,それでも,「働けている」ということは,いいことなのではないかと思える自分が今います。

雇用主のインタビューを見る